「コメディの人」というイメージがあるからこそ、余計に怖い。阿部サダヲがスクリーンで見せる「光の消えた瞳」に、多くの観客が言葉を失いました。
2022年5月に公開されたサイコ・サスペンス映画『死刑にいたる病』は、「阿部サダヲ サイコパス」という言葉で検索する人が続出するほど、彼の怪演が強烈な印象を残した作品です。白石和彌監督が手がけ、原作は櫛木理宇のミステリー小説。公開館数237館という中規模スタートながら、週末興行収入ランキングに6週連続でトップ10入りし、興行収入11億円(Wikipediaより)を記録したヒット作です。
この記事では、阿部サダヲが演じた榛村というキャラクターの何が怖いのかを入口に、作品のあらすじ・見どころ・キャスト情報を整理しています。「観ようか迷っている」「なぜこんなに話題になったのか知りたい」という方に向けて、複数の公開資料をもとにまとめました。
阿部サダヲのサイコパス演技はなぜこんなに怖いのか
「阿部サダヲ サイコパス」と検索する人の多くは、普段コメディやお人よし役のイメージがある彼が、なぜこれほど恐ろしいと言われるのかを確かめたいのではないでしょうか。その理由を、役柄と演技の特徴から整理してみます。
「普通の人に見えるように演じた」という役作り
阿部サダヲ自身は、2022年5月の公開記念舞台あいさつで「普段パン屋にいるときは普通の人なので、普通に演じた。晴れときどき殺人みたいな感じ」と語っています(ENCOUNT報道より)。特別な役作りを意識したわけではなく、あくまで”普通の人間”として演じたというのが彼のアプローチでした。
ここが肝心なところです。「サイコパスらしく怖く演じよう」という力みがまったく感じられないからこそ、ふとした瞬間に別の顔が覗いたときの落差が大きくなります。カフェで優しくパンを勧めるような表情と、殺傷シーンで瞳から光が消えた表情が、同一人物のものだと信じられない。この”普通のなかに潜む異常”が、榛村という人物の怖さの根っこにあります。
2面性の演じ分けと「瞳の変化」
榛村のキャラクターには大きく分けて2つの顔があります。ひとつは地域に溶け込んだ愛想のいいパン屋の店主、もうひとつは少年少女を計画的に標的にして殺害する連続殺人鬼です。阿部サダヲは、この2面性を”切り替えではなく同居”させて演じた点が高く評価されています。
観客やメディアの反応で特に多く指摘されたのが「瞳の変化」です。普段は柔らかく穏やかに見える目が、ある場面では瞬きが極端に減り、光が失われたように変わります。台詞の内容ではなく、目の演技だけで空気が一変する。複数の映画レビューや映像メディアで「瞳だけで怖い」という表現が繰り返し使われるのはそのためです。
「コメディ俳優がやるから余計に怖い」という逆説
阿部サダヲは、宮藤官九郎監督との映画『舞妓Haaaan!!!』(2007年)で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、コメディ・ドラマのジャンルで長年活躍してきました。「楽しい人」「明るいキャラクター」という社会的なイメージが積み重なっているからこそ、本作で見せる”光のない顔”との乖離が視覚的な衝撃を生みます。
これはちょうど、近所に住む人当たりのいい人が実は連続殺人鬼だったという物語の構造と重なります。観客は「この人がそんなはずがない」という前提を持ちながら画面に向き合い、だからこそ榛村に心を許す登場人物たちの心理が自分事として感じられます。阿部サダヲの過去の出演歴ごと、この映画の怖さの構造の中に取り込まれているわけです。
映画『死刑にいたる病』のあらすじ(中盤まで)
阿部サダヲの演技の怖さがどこから来るかを押さえたところで、物語の中身を見ていきましょう。結末には触れず、中盤まで整理します。
1通の手紙から始まる物語
主人公は、理想とはかけ離れた大学に通う鬱屈した大学生・筧井雅也(岡田健史、現・水上恒司)。ある日、彼のもとに1通の手紙が届きます。差出人は榛村大和(阿部サダヲ)。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうち9件で立件・起訴されて死刑判決を受けた稀代の連続殺人鬼です。
手紙の内容は「罪は認めるが、最後の1件だけは冤罪だ。犯人が他にいることを証明してほしい」というものでした。榛村は犯行当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もそこに通っていました。優しく接してくれた店主の記憶が残っていた雅也は、依頼を受け入れ独自の調査を始めます。
面会室という密室の心理戦

雅也は拘置所を訪れ、榛村と面会を重ねます。透明のパネル一枚を挟んで向き合うこの場面が、映画の核となる繰り返しのシーンです。榛村は穏やかな語り口で雅也に情報を与え、少しずつ調査の方向を誘導していきます。「凄いじゃないか」「よく気づいたね」という言葉で雅也を褒め、そのたびに雅也はどんどん榛村との距離を縮めていきます。
観客からすると、この面会シーンは見ていて「危ない」とわかりながら止められない、背筋が凍るような不快感があります。榛村が直接手を出しているわけでもなく、声を荒げているわけでもない。それでも確実に何かが侵食されていく感覚がある。これが本作の最大の恐怖演出と見ることができます。
調査が進むにつれて浮かび上がる「繋がり」
雅也が事件を調べるうちに、奇妙な一致が浮かび上がります。榛村が標的にしていたのは黒髪で真面目な高校生(男女問わず)というパターンがあること、そして雅也の母・衿子(中山美穂)が榛村と何らかの接点を持っていたという事実です。さらに、調査過程で雅也は金山一輝(岩田剛典)という不安定な人物とも接触します。彼もまた、榛村と複雑な関係を持っていた人物でした。
物語の中盤は「冤罪を証明する調査」として動いているように見えますが、実際には榛村がどこまでを計算して動いているのかが少しずつ見えてきます。「誰が誰を操っているのか」という問いが積み重なり、後半への引きが強まっていきます。
この映画の見どころ|構造・演出・テーマの要点
あらすじの流れを追ったところで、本作のどこが見応えあるのかを整理してみましょう。
「騙される快楽」と「騙されていると知る快楽」の両立
映画.comや映画専門メディアでの評価を見ると、本作への称賛として「2度観ると面白さが倍になる」という言葉が繰り返し出てきます。1度目は雅也と同じ視点で「冤罪事件の真相を追う」体験として観て、2度目は榛村の視点で細部の演技や伏線を拾いながら観る。この2層構造がサスペンスとしての完成度の高さを示しています。
白石和彌監督はパンフレットのインタビューで「自分の作品の中でもエンタメに徹している」「フィクションらしいフィクション」と述べており(filmaga記事より)、あくまで鑑賞体験としての面白さを優先した設計であることを示唆しています。「怖い」と「面白い」が共存する作りは、原作小説の”イヤミス”ジャンルの特性を映画に翻訳した形といえるでしょう。
白石和彌監督の演出スタイルと本作の位置づけ
白石和彌監督は『凶悪』(2013年)、『孤狼の血』(2018年)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年)など、社会の暗部を直視するサスペンスを得意としてきた監督です。本作もその系譜に連なりますが、前作群との違いとして挙げられるのは「面会室という限定空間を軸にした心理劇」という構造です。
派手なアクションや追跡シーンよりも、閉じた空間での言葉と視線のやり取りで緊張を積み上げる演出は、アンソニー・ホプキンス主演の『羊たちの沈黙』(1991年)との比較で語られることもあります。映像的な密度の高さは、撮影監督・池田直矢とのコンビによるものです。
原作小説と映画版の違い
本作の原作は、2015年刊行の小説『チェインドッグ』を改題して2017年にハヤカワ文庫JAから出版された『死刑にいたる病』(著:櫛木理宇)です。脚本は高田亮が担当しています。原作では榛村の幼少期の背景が比較的詳しく描かれている一方、映画版では榛村の過去の説明を絞ることで”得体の知れない怪物”としての印象を強めているとされています。
また、映画版にはオリジナルのラストが付け加えられており、物語が結末で一段階跳び上がる仕掛けがあります。原作を読んでから観た方も、読まずに観た方も、それぞれ異なる驚きが待っています。原作小説は現在もハヤカワ文庫から入手できますので、本作を気に入った方は合わせて手に取ってみるといいでしょう。
主要キャストと登場人物の紹介
見どころを整理したところで、主要な登場人物とキャストをまとめておきます。本作は人物の関係が複雑に絡み合うため、事前に整理しておくと鑑賞がよりスムーズになります。
阿部サダヲ(榛村大和役)と岡田健史(筧井雅也役)
榛村大和を演じた阿部サダヲは、1992年に劇団大人計画で舞台デビューし、映画・ドラマ・舞台と幅広く活躍するベテラン俳優です。コメディからシリアスまで振れ幅の大きい演技が持ち味で、本作では「連続殺人鬼をただの怪物として描かない」ことで生まれる不気味さを体現しました。
大学生・雅也を演じたのは岡田健史(本作公開時の名前。現在は水上恒司として活動)。榛村に徐々に引き込まれながらも、調査を通じて自分自身の輪郭を問い直していく主人公の内面の変化を丁寧に表現しています。岡田自身は公開時の舞台あいさつで「初めて自分の芝居を面白いと感じた作品」と発言しており、本人にとっても手応えの強い作品だったようです(ENCOUNT報道より)。
・榛村大和(連続殺人鬼):阿部サダヲ
・筧井雅也(大学生・主人公):岡田健史(現・水上恒司)
・金山一輝(不安定な男):岩田剛典
・筧井衿子(雅也の母):中山美穂
・加納灯里(雅也の恋人):宮﨑優
岩田剛典(金山一輝役)と中山美穂(筧井衿子役)

金山一輝を演じた岩田剛典は、三代目J SOUL BROTHERSのメンバーとして音楽活動と並行して俳優としても活躍しています。本作での金山は榛村と複雑な過去を持ち、精神的に不安定な人物として物語に深く関わります。「試写を見て食欲がなくなった」と本人が語るほど、作品の雰囲気は重く濃いものだったようです(ENCOUNT報道より)。
雅也の母・衿子を演じたのは中山美穂。榛村と接点を持つ重要な人物として、物語の背景部分に関わっています。なお、原作小説では榛村の幼少期を支援した養育者との関係が詳しく描かれており、映画版でもその要素が衿子というキャラクターを通じて引き継がれています。加納灯里役の宮﨑優は新進の若手俳優で、映画の終盤に向けて存在感を増していきます。
白石和彌監督と制作スタッフ
監督の白石和彌は、暴力や人間の闇を正面から描くジャンル映画の作り手として国内外で評価を受けています。本作では脚本を高田亮が担当し、音楽は大間々昂が手がけています。撮影監督は池田直矢。制作会社はRIKIプロジェクトで、配給はクロックワークスが担当しました。映倫区分はPG12で、12歳未満の場合は保護者の同伴が推奨されます(映画倫理機構の公式情報および映画.comなど複数ソースで確認)。
Q1. 映倫区分は何ですか?観る際の注意点はありますか?
A1. PG12指定です。グロテスクな描写や暴力表現を含む場面があります。最新の映倫区分の詳細は映画倫理機構(映倫)の公式サイトでご確認ください。
Q2. 原作小説は読んでおいた方がいいですか?
A2. 読まなくても映画単体で十分楽しめます。ただし読んだ後に観ると、映画版独自の変更点や追加シーンがより際立ちます。
作品の背景・興行・評判をまとめた補足情報
登場人物を押さえたところで、本作の制作背景や社会的な受容についても整理しておきましょう。
「イヤミス」というジャンルと原作の立ち位置
「イヤミス」とは、後味の悪さや嫌悪感をともなう読み心地が特徴のミステリーを指す言葉です。原作の櫛木理宇は、ホラーやサスペンス小説で知られる作家で、本作(旧題『チェインドッグ』)はその中でも「ラスト10ページの展開」で強い反響を呼んだとされています。単に怖いというだけでなく、登場人物の内面や人間関係の歪みが気持ち悪さの源泉になっている作品群の代表的な一例です。
映画版はこの”イヤミス”的な読み心地を、映像と音響でどう再現するかという難題を、白石和彌監督が「エンタメに徹する」という方針で解いた作品と見ることができます。怖さを「気分が悪い」ではなく「面白い」に変換する技術が、多くの観客を引きつけた背景にあると考えられます。
公開規模と興行収入の推移
本作は237館という中規模での公開スタートでした。大手配給会社ではなくクロックワークスが独立系として手がけた作品であることを踏まえると、週末興行収入ランキング6週連続トップ10入りは異例の結果といえます。Wikipediaの記述によると、最終的な興行収入は11億円で、クロックワークスの単独配給作品としては歴代1位を記録しました。また、2022年公開の邦画実写作品で10億円超えを達成した唯一のインディペンデント配給作品となっています。
阿部サダヲの「振れ幅」という評価軸
本作を語る文脈で繰り返し登場するのが「阿部サダヲの振れ幅」という表現です。コメディからシリアスへの転換ではなく、コメディ的な雰囲気のまま異常性を共存させる演技スタイルは、白石監督が述べた「コメディに転化する瞬間もあるかもしれない」という言葉とも重なります。榛村というキャラクターは、ただの怖い人として描かれていないからこそ怖い、という構造を、阿部サダヲというキャスティング選択が巧みに体現しています。
- 映倫区分:PG12(12歳未満は保護者同伴推奨)。詳細は映画倫理機構(映倫)の公式ページでご確認ください。
- 原作:櫛木理宇『死刑にいたる病』(ハヤカワ文庫JA・早川書房刊)。現在も書店・通販で入手できます。
- 配信情報:配信プラットフォームや料金は変動するため、最新情報は各配信サービスの公式サイトでご確認ください。
- 公開日・上映時間:2022年5月6日公開、129分(映画.comおよびWikipediaで確認)。
- 興行収入:11億円(Wikipedia記載のデータ。2022年公開時点)。
まとめ
阿部サダヲのサイコパス演技が怖い理由は、「普通の人として演じた」という本人の言葉が全てを物語っています。映画『死刑にいたる病』は、怪物を怪物として描くのではなく、どこにでもいそうな人間の中に怪物性を潜ませることで、見る者を「自分事」として引き込む作品です。
まず予告編を観てみてください。阿部サダヲの優しそうな表情と、ふとした瞬間に変わる目の演技が2分足らずで体験できます。そこで「怖い」と感じた方は、ぜひ本編をご覧になることをおすすめします。
サスペンス映画として、人間心理のドラマとして、そして役者の演技論として、何度でも話題にしたくなる作品に出会えるはずです。


